干からびたトカゲのしっぽ

日々遺されて乾いていく

終のステラをプレイして泣く男

シナリオ:田中ロミオ Key制作の新作ADVである”終のステラ”のプレイの感想である。

 

本作は選択肢の存在しない、ゲームというよりはまさしくビジュアルノベルで、7時間程度で読み終わる可処分時間の少ない令和の人間にも配慮が行き届いた良いゲームだった。

ちなみに田中ロミオ先生の作品は”AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜”しか読んだことないが、中二病をモチーフとして描くボーイミーツガールとしては間違いなく傑作だった。

 

とにかく

 

ごちゃごちゃと感想を考える前に、EDでぼくは泣いてしまった。

 

そもそも何かを鑑賞して感動することはあっても泣くことは滅多にないハズなのだが

この物語の終わりに涙を流してしまった。

なにが自分の琴線に触れたのか本当に分からないままこの文章を書き散らしている。

 

 

そもそも泣いた事が何年ぶりなのだろうか、思えば大学を卒業して働き始めてから1度も泣いた覚えがないような気がする。

 

以前の動物病院では同じ年に獣医師になった男の同期が居た。

新卒で勤め始めて3日目だったか、肺水腫で入院してICUに横たわっている若い猫を見舞いに来ている老夫婦の対応をしていた。たしか肥大型心筋症だったような…

まだ獣医師免許をもっただけの素人に過ぎない彼は、病状や治療についての説明なんてできる訳もなく、とにかく老夫婦の話を聞いていた。

そのうち、猫の出会いから入院するまでの話を聞いて泣き始めてしまった。

そんな同期を「やはり家庭の都合でもないのに小動物臨床に進むリア充は感受性豊かだなぁ…」と捻くれた感想で眺めていたことを思いだした。

我ながら志が低い。

そんなぼくでも泣き崩れる飼い主をなだめ、慰め、その5分後には犬のワクチンを笑顔で打つ。

情緒というか感情がすりへっていく。

流石は米国で自殺率の飛びぬけて高い仕事だ。

辞める直前に至っては、泣き崩れる飼い主の前でさえ呆れ顔を取り繕うエネルギーも残っていなかった。

 

そんな共感性というか人間性というか、おそらく情の薄い人間に分類されるぼくがよく分からないが泣いてしまった。

 

冷静になって考えてみると、ポストアポカリプスSFとしては斬新な設定や仕掛けがあるわけでは無い。

人間と区別のつかないアンドロイドが人工の知能に感情や自我を獲得したのであれば人間との差異は何なのか?人間を人間たらしめるものは何か?

これらの、言ってみれば過去のSF作品で語りつくされたテーマに新たな知見を見せる物語ではない。

そもそも個人的には優れたSFは”進歩したテクノロジーと人間との間に発生するコンフリクト”を描くドラマだと思っているので多分終のステラは優れたSFではない。

 

ならこの物語は何を観て何を語るべきなのか。

 

この物語は人間のジュードとアンドロイドのフィリアの関係のみにフォーカスして描かれていて、この二人の関係は物語が進むにつれ、運び屋と荷物、師匠と弟子、父と娘、と次第に変化していく。

 

序盤から登場する車椅子の博士のセリフの端々から感じるセカイ系の予兆はそのまま予定調和的に終盤の山場に持ち込まれ、やはり男は少女を選択する。

ここまで天秤にかけるべきセカイの描写が薄いからかここの選択にはあまり葛藤が生じない。

これまでの道程で描かれたレトロフューチャーなアーコロジーの廃墟や拠点の町でも社会、というか他者の描写がかなり薄いため葛藤なんてなくて当然なんだろう。

ここまで意図的にセカイが薄いからこそ主人公とヒロインの関係が際立つ。

ラストの(半ば性急にも思える)ジュードとフィリアの別れをドラマチックに演出するための積み重ねなのだろう。

 

だからこそ完全にやられた。

 

これまでセカイに対して無力で一方的に庇護されるばかりだったフィリアが成長し、ジュードと肩を並べて歩めるようになっている。父の背中を見て育つ娘。

そして仕事でしか自己の証明が出来なかったマッチョな男は、自らの死期を知り娘に己の持つすべてを託すことにする。

 

ラストの別れでぼくは不意に泣いてしまった。

 

愛を自覚し、届けることのできた満足げな父親

愛を受け取り、寄る辺のない世界に巣立ち、卒業していく娘

 

もうBGMも相まって卑怯だった。泣くだろあんなの

 

 

キャラの設定、描写、構成、物語の背景、SF考証これらすべてがキャラゲーとして完成度を高める方向に振り絞られていて、ライターとしての田中ロミオの筆力の高さを味わえる名作だったといっても過言ではないだろう。

 

娘が欲しいなどと安易な欲求を自覚する訳ではないが、自分にも何か遺したい欲望でもあるのか?

我々の周囲にしばしば浮かび上がる死別というイベント、そして自分の死。

このストレスを緩和する方法の一つとして何かを遺した、引き継いだという意識を持つことは非常に有用だと思う。

ただそれにしても自分の子供を持とうとは現状思わない、が、自分の”愛”というよりこの場合”Meme”と呼ぶのが適切だろう、これを遺したい気持ちはよく分かる。

 

今回の件で近い未来に家族が亡くなって、いい年した自分が孤独に耐えられるのか自信が無くなってきた。

まずは定職に就こう

 

あと後日談もあるらしいじゃん、豪華限定版のヤツ

アマゾンでもう売ってないし3万円くらいで転売されてるんだけど…

読みてぇ~、成長したフィリアの話読みてぇ~

でもあれでキレイに終わってる感もある~

教訓:新作ADVを買うときはとりあえず1番高いのを買っとけ