鬱じゃないなら
勤務中だけ頭頂部の頭痛がしばしば俺を襲う
そんな訳でWeb上のうつ病チェックシート(SRQ-D(東邦大学方式うつ病自己評価尺度))なるものをやってみたのだが、結果は”ほとんど問題ありません”なんて結果が表示される始末だった。
単に自己肯定感の低さを突き付けられているだけだった。そもそも寝るたびに上司に叱られた内容を忘れる程の記憶力の悪さを誇るおれのことだ、そんなんだから無能なのだとわかっていても、忘れるものは仕方ないと開き直っているのだがら思いのほか鬱になるメンタリティとは遠い場所にいるのかもしれない。
そんな折に見かけた「鬱ごはん」なるマンガが最近読んだマンガの中で妙に印象に残ったので記事を遺そうと思う。…正直調子に乗って全巻買ったヴィンランド・サガより好きかもしれない。(面白さならこっちの方が上だと思うんだけど、「プラネテス」の時もそうだったんだけど愛に救いが帰結していく話って説教臭くてイマイチのれねーんだよなぁ)
なによりこの「鬱ごはん」。まず22歳就職浪人という主人公、鬱野のプロフィールからして前向きになれそうもない。
デリバリーピザを轢死体に、ホットケーキの調理過程で浮いてくる気泡をコモリガエルの背中(蓮みたいなキモイあれ)に例えるなど本当に食欲を無くすセリフばかり吐く主人公。
トレイの上にこぼしたコーラを人に見られまいと必死になり、列の後ろを気にして食べたくもないドーナツをとっさに選んでしまう主人公。
味の感想なぞ考えず、食に対して文学的、哲学的なモノローグを繰り広げる主人公。
”壮厳なるブタの死は一瞬の電気信号に消える”
後ろ向きで自意識過剰なこの主人公がどんな大学生活を送ったのか容易に想像できるのが悲しい。
留年したあと文学や哲学に逃避した学生生活を送り、人に見られてると思うとまともに動けない俺にとっては時々笑えない話があるのが恐ろしい。
客から見ると俺はかなり滑稽な動きをしているんだろーな。
クビにしてくれ。もういっそ殺してくれ。
ただこのマンガ、3巻あたりから鬱々としたモノローグが減り、割りと就職浪人(フリーター)生活を満喫しているようにしか思えなくなる。正直、面白くなくなってくるのだ。主人公も鬱とは程遠くなっている、ただのネガティブな青年だ。
きっと漫画が売れて、作者の鬱屈したものが無くなってしまったのだろう、主人公がから回るただの面白くないグルメ漫画の出来損ないみたいになってくるから3巻は読まなくてもいいかなと思う。
個人的にはコーンスープをトイレに流す回が好きだ、俺も同じような体験があるがなぜか満腹感を感じるんだよなぁ…アレ
書いてるときりがなくなりそうなので、心底同意したモノローグで終わろうと思う。
”いつか死ぬその日まで飯を食べ続けなければならないと思うと少しウンザリした”